私も「要支援2」2009年08月02日

 いままで妻のことばかり書いてきたけれど、実は私自身も「身体障害者4級」である。このことが、妻が想定外の早期に特養に入れた理由の一つかもしれない。

 もう30年近前のことだけれど、平坦のところでもつまずく。階段を登るのが猛烈につらい。そしてある日、左足に温度感覚が全くないことに気付いて病院に駆け込んだ。病院では検査検査の毎日。それでも、MRIのない時代で中々原因がつかめず、4ヵ月かかってようやく頚椎の骨棘による脊髄圧迫が原因であることが判って、1ヵ月後に手術を受けた。でもその後遺症として、以来足の機能に多少の障害を持つようになってしまい、「身体障害者4級」の手帳が交付された。

 妻が特養に入所してしまったあと、家事の一部を担ってくれていたヘルパーさんも介護保険の介助者として来てもらうことは出来なくなってしまったので、以後は同じヘルパーさんに自費負担で家事の一部を お願いした。
 このことを知った妻の在宅介護のときのケアマネージャーさんが、身体障害があるなら介護認定を申請してみてはどうか、と助言してくれて申請を出した。

 結果、「要支援2」という介護認定段階の下から2番目の認定を受けることが出来て、週3回1時間半ヘルパーさんに来てもらって、朝の食事と掃除・洗濯の面倒をみてもらえることになった。

“ 死よりも切ない別れ ” PartⅡ2009年08月04日

 先月5日のブログに韓国映画『私の頭の中の消しゴム』のキャッチコピー “死よりも切ない別れである。” という言葉が、特養に入所してしまった妻に対する想いにジャストフィットすることに感じ入ったことを書いたが、そのことについてもう一度考えてみたい。

 親子であれ夫婦であれ友人であれ仲間であれ、必ず“別れ”が訪れる。
 その“別れ”の中で最も決定的な別れは “死” に違いない。  その“死”よりも、なぜ認知症(アルツハイマー)による別れが「切ない」のだろうか?

 まず一つは、“死”による別れについては、人は生死という絶対的な自然現象を理解出来るようになれば、“死による別れ” を怖れながらも、意識の奥底では認知している。だから、死に直面したときは怖れ悲しみ、そしてその切なさに心を痛ませるけれど、時間と共にその想いは薄れていく。 しかし認知症(アルツハイマー)による別れは、予期できない別れであり、“死”よりも覚悟の出来ない別れだ。
 さらに“死”は一瞬にして肉体の存在が無くなってしまうのに対して、認知症の場合は、肉体はかなり長期間実存する。それも、植物人間に陥ってしまった場合の実存と違って、外目には病前とあまり違わない状態で、である。 そして会話についても一応は瞬間的に成立する。しかしその会話が会話として広がっていくことはしない。なぜなら以前のことはほとんど覚えていないし、少し前に話したことさえもすぐに忘れていくのだから…

 私は、なるべく多く面会に行こうと思い一人で面会に行くようにしているのだけれど、妻の病状の今の段階では、私を見て一瞬戸惑う様子を見せるけれど私を忘れてはいない。でも私については、ただ身近な人らしいということだけで、彼女とどういう関係の者かは理解できていないらしいのだ。話し始めても彼女の口から出る言葉は、まだ覚えている孫たちと(家で介護していたとき世話をしてくれていた)息子の嫁のことだけ。嫁や孫たちがどうしてここに来ていないのかを、何回も繰り返し繰り返し聞いてくるだけの会話しか成立しない。だから、早々に帰り支度をしてしまう。 
 それでいて、帰ろうとすると「家に帰れるんだろ(涙)」「家に連れてって(泣)」と懇願する。 それをあるときは無視して、あるときは振り切って帰ってくるときの切なさはなんに例えることもできない。ときには 帰途、別れ際の妻の様子を思い出して涙がこぼれ、運転する車の視界を曇らせてしまうこともある。  

唐突だが、考えさせられてしまった (*_*;2009年08月14日

 明日は終戦記念日。
 朝日新聞の小コラム『素粒子』に次のような文章が載った。

 先日、鹿児島知覧を尋ねた。陸軍特別攻撃隊基地があった。

 米空母などへ体当たり攻撃。未来ある人間が武器になった。

 歴史刻む特攻平和会館に隊員の写真。あまりに若く悲しい。

 「今の日本はあなた方が命を捨てて守った日本でしょうか」

 来館者がノートにつづった問い。 今を生きる私たちに重い。

 時代時代、時々の社会状況で、そこに住む人々の状況は変わるのだけれど、これを読んで、妻のアルツハイマーに泣きごとを言っている自分が少し恥ずかしくなった。

精神科の病院に入院?2009年08月22日

 妻が特養施設に入所して2カ月余りたった6月、妻の多動行動が激しくて介護の職員の手が回らなくて困っているので嘱託医と話し合ってほしいという要請があって、6月下旬、嘱託医と面談した。嘱託医は、妻の多動行動の一因がアルツハイマーの進行を緩和させる薬剤“アリセプト”の副作用ということも考えられるので、一度アリセプトの投与をやめてみてはどうかという。私は、アリセプトの投与を切った場合、病気の進行が急激に進むという惧れはないのかと質問したところ、その危惧は十分あり得るとの回答だった。それでは私たちとしては「そのようにして下さって結構です。」と軽請け合いする気にはなれず、とりあえず10mgの投与を半分の5mgで様子を見てみることはできいか、ということでアリセプト半減投与の方法で妥協した。

 しかしその後2か月、妻の多動行動は変わらず、時に職員に手を上げることもあるということで、精神科の病院に一時入院させて、精神的に落ち着くような薬の投与を調整してみてはどうかという要請を受けた。
 妻の身柄を介護施設に預けている以上、介護職員に無理を言うわけにもいかないけれど、といって「はい、そうですか。」と簡単に受託する気にはなれない。

 また、精神科の病院に入院するとしても、精神病的な薬の調合は一定期間をかけていろいろと試してみないことには薬剤の適応が確定しづらいので、退院できるのは何週間後あるいは何ヶ月という確約が出来ない、と(私の乏しい知識の中では)そう聞いている。しかし、介護制度の決まりでは3か月までの一時退所はベッドを空けておくことが出来るが、それ以上の休所になる場合は、とりあえず住所を施設から戻す決まりだという。
 家で介護することが困難なので施設への入所お願いしたわけだから、もし妻の病院への入院が3カ月以上になってしまった場合、これまた「はい、そうですか。」と受け入れることは全く出来ない相談である。

 これらのことを踏まえて、来週、施設の介護職員・看護師や相談員と私どもとカンファレンスすることが決まった。
 そのconferenceの結果どういうことになるのか、誠に頭も心も痛む問題だ。

妻の処遇をどうする?2009年08月27日

 昨日、施設の 介護士・看護師・PT・ソーシャルワーカーや栄養士まで集まってのカンファレンス。 私と息子の嫁とが出席した。

 妻の状況の説明では、

職員たちは妻を最後までここの施設で心穏やかに過ごさせたいと努力しているが、妻の現状は精神状態が不安定で、時に施設内を駆け回ったり、職員に当たったりしている。このままでは転んで怪我をする危険もあるし、第一に本人が可哀そうだ。担当職員での何回かのカンファレンスでは、このままでは施設でよりよい介護する解決策が見つからない。だから、精神科の病院で専門医に状況を観察してもらいながら、落ち着いて施設で過ごせるような処方を探ってもらうのが唯一の解決策ではないだろうか。

というのが施設側からの提案だった。

 施設側からの説明は非常に真剣で、ある意味では心温まる説明でもあったので、私どもも妻を精神科の病院に入院させる必要を納得し、施設のソーシャルワーカーの助言を受けながら、認知症治療の実績のある病院を探すことした。

『神様がいるなら・・・』2009年08月31日

 私には一男二女の孫がいるが、7月末に5歳になったばかりの末の孫娘は、私や母親(私の息子の嫁)と一緒に“おばあちゃん”の面会によく同道する。

 最近、母親とおばあちゃんの面会に行った帰り道、突然母親に質問したという。
孫娘「ママ、神様って本当に居るの?」
ママ「そうだよ、だから悪いことをすると神様が見ていてバチが当たるんだよ。」
孫娘「神様が居るんだったら、じゃあ何で神様はおばあちゃんの病気を良くしてくれないの?」

 --- そうだ、妻は40年前、自宅で寝たきりになっていた私の母親を1年半、25年前、脳梗塞で倒れ自宅で療養していた私の父親を3年半、ほとんど四六時中献身的に介護してくれた。その妻が、何でこのような悲惨な病に冒されてしまっているのだろう

 さあ 神様! この孫娘の素朴で真剣な問いに、どう応えてくれる ?!