◆ 『バリデーション』という認知症の人とのコミュニケーション法を知りました!2011年06月20日

 何日か前に新聞の記事で、アルツハイマー型認知症の人を「正当に評価しよう」というコミュニケーション法の存在を知った。

 それがバリデーション(Validation) というコミュニケーション法。
 アメリカのナオミ・フェイルさんというケースワーカーが、自身の経験から提唱した認知症の人とのコミュニケーション法で、欧米では非常に高く評価されているとのことで、日本でも認知症の人の介護のための教育でも使われ始めているという。

 小さな新聞記事を読んだだけでも、特養に面会に行ったときの妻とコミュニケーションに役立つのではないかと、早速インターネットで『バリデーション』を検索し、提唱者のナオミ・フェイルさんの書いた本も翻訳されて市販されていることを知り、早速 amazon.com のネット通販で注文した。 注文した時点では“品切れ”ということだったが、さすがアマゾン、今日その本が届いた。
 まだ、まえがきと、あとがきを読んだだけだが、最近は病状がかなり進んで普通の会話が出来ない妻とのコミュニケーションに役立てようと思う。

◆ 晴奈さんのコメントに応えて2011年06月08日

 5月8日の記事に対して、“晴奈”さんから「ブログここ最近更新されていないのですね。」というコメントをいただきました。
 そこで、なぜこのところ記事を書き込んでいないのか晴奈さんにお応えしたいと思います。

 私は毎週日曜日には必ず妻の面会に行っています。その時の状況で、ここに何か書き込みたいようなことがあれば、晴奈さんのご指摘がなくても何かを書き込むでしょう。でも、毎週行ってみて書きたいような事象が少ないので、ついつい更新の書き込みをサボってしまっているのです。
 毎週面会して、その日によって表情がいい日と、そうでない日とあります。だから、今日はとても機嫌がよさそうだったとか、今日は笑顔が全くなかったとかだけでも書けばいいのかもしれませんが・・・・・

 でもね、毎週日曜日に面会に行くのは今では義務的な日課になってしまっているような気はしてならないのです。
 家を出るときは、今日はどんな状態だろかと一種の期待みたいな気持ちで行くのですが、会っても会話は構成できない状況になってしまっているし、そんな妻の様子を見ていると、過去の栄光(?)と比べてしまって僕の心を震わせてしまうし、もし妻がこの病気になっていなかったら、いまごろは二人でどんな風な生活をしているのだろう、と不可能な考えにとりつかれて、心を凍りつかせてしまいます。
 だから正直“行きはよいよい、帰りはつらい”日曜日なのです。

◆ 今日は2011年の施設の“園まつり”2011年05月08日

 今日は恒例の特別養護老人ホームのイベント“園まつり” \(^o^)/
 先週日曜日に面会に行ったときには、週間天気予報で今日は≪雨≫だったのに、日を追うごとに≪曇り≫から≪快晴≫に・・・。妻がこのホームに入所してから3回目園祭りだが、3回とも≪快晴≫で、気温も暑いくらい。
 昨日は大雨。この施設、何でこう運がいいのだろう?

【施設入口の飾り付け】

                【町内会の協力で、いつも沢山のバザーが並ぶ】

        【施設職員によるフラダンス】


◆ 日野原先生の『認知症について考える』2011年04月30日

 本日(4月30日)の朝日新聞別刷「be on Saturday」に聖路加国際病院理事長の日野原重明先生が『認知症について考える』という一文を寄せている。
 その一文の最後は次のような言葉で締めくくられている。
  『人生の最後の期間を人間性が失われたと誤解されて過ごさなければならない患者
  とその家族を、愛の心と手で支えることこそ、本当のターミナルケア(終末期医療)
  だと思います。』
          *   *   *
 毎週日曜日に妻の面会に行って、その様子に人間性が失われてまっていると思ってしまっていた私。人間性が失われていると考えるのは誤解だという日野原先生の言葉に胸を突かれた思いがした。

◆『思い出を失うという孤独』…柳町光男氏の言葉で大いなる反省2011年01月16日

 今日の読売新聞の『ケアノート』というページに、映画監督の柳町光男氏が施設で亡くなられたアルツハイマー型認知症だったお母様のことを語った『母の孤独 救えず無念』という記事が載っていた。
 その中で、『・・・新しい方からゆっくりと記憶が消えていく。最後は私たち子供や父のことも忘れました。悲しいことでした。』という言葉に続けての『でも、思い出を失うということはどういうことかを考えると、自分たち以上に、母はどんなに孤独なのだろうかと胸が痛みました。』という言葉にショックを受けた。
 そう、“死よりも切ない別れ”などと自分のことばかり言っていたけれど、アルツハイマー病の本人の辛さや苦しさにもっともっと思いを致さなければいけない!!(-_-;) と反省させられた記事であった。


◆ いまごろ里ごころが、なぜ??2011年01月09日

 きょう日曜日も恒例の如く特養に妻の面会に行った。いつものように会話の成立しない面会ではあるが、今日は何度も「一緒にウチ連れて行って…」「一緒に帰ろう…」と言って涙を流すのだ。「お前の家はここなんだよ。」「お前が病気になってからは、ここがお前のウチになったんだよ。」と応えるしかすべがないのだったがアルツハイマーの頭ではそれを納得できる状況ではない。
 たまたま面会場所にもう一組み、入所している奥様の面会に来ていた旦那さんが居たのだが、帰り際にお互いに言った言葉は「面会に来るのはいいんだけれど、帰ろうとすると言いだされる言葉が何とも辛いんですよね!!」

◆ 12月はノロウイルス感染で面会できず(>_<)2011年01月01日

 12月初め、いつものように日曜日に面会に行くと、入口に「面会をご遠慮ください」という張り紙。面会者が持ち込んだらしいノロウイルスに感染してしまった入所者が食堂で嘔吐してしまったため、その周囲に居た入所者の何人かが感染し、保健所の指導のもと、ノロ感染終息宣言をせるようになるまでは面会を遠慮してほしいということであった。
 そして終息宣言が出たのが12月下旬だったので、年末が一番忙しい仕事をしている私は、結局12月中は面会に行けなかった。

 それで元日、独身の長男と次男の家族(3人の孫を含めて5人)に私の7人で面会に行った。昨年の元日は、大腿骨骨折の手術の直後で病院に面会に行ったことを考えれば、まあ今年は“良し”としなければ・・・・・。

 12月中面会が出来なかったせいか、それとも皆で面会に行ったせいか、次男の嫁が帰ろう言葉をかけると、帰っちゃだめだとばかり嫁の手をつかんで離さない。面会に行くのはいいけれど、これが一番堪えるんだ!(;_;)


◆ 入院報告で涙を流した妻2010年12月05日

 入院のために妻の面会に行けなかった私が、ほぼ1か月振りに面会に行って、最近の妻の状況からは私の入院のことを話しても理解できないだろうとは思ったけれど、でも「入院していたので来れなかったんだよ。」と言ったら、妻は私の顔を凝視して目に一杯涙を溜めた。これには思わず私の涙腺も濡れてしまった。入院という言葉が分かったのだろうか、それとも何か今までと違った“モノ”を感じたのだろうか??
 最近ではいつも会話が成立しないアルツハイマーの妻。どんな世間話をしてもそれが
理解できないのか、外を眺めて「葉っぱが揺れている」とか「空が光ってる」などと話をそらしてしまう妻。それが私の入院の話だけが理解できたとは思えない。でも、入院の話で涙を溜めたのは何なのだろう??

☆ 自分の入院で更新できず(>_<)2010年12月05日

 右肩の激しい疼痛で私自身が数週間の入院生活を強いられ、退院してからも体調が中々戻らず、妻の面会も欠き、このブログへの書き込みも滞ってしまった。


★ みんな、悩み苦しんでいるんだ(*_*;2010年09月18日

 5日の記事にコメントを寄せてくれた「はなはな」さん。認知症患者を持った家族はみんな悩も苦しんでいるんですね。そしてこ悩みや苦しみは認知症患者を持った人にしか分からないのですよね。はなはなさんの悩みや苦しみに、私のこのブログの拙文が少しでもお役に立ったのだとしたらほんとに光栄です。