◆ 人間自身にとって、生きているということの意義は何だろう?2011年11月23日

 毎週日曜日に特養を訪ねて妻と面会しているのだが、行くたびに発する語彙の数が少なくなっている。
 毎週面会しているから、私のことを“知っている人”という認識があることだけは確かなようだけれど、自分とどういう関係の者であるかということは分かっていない。また、在宅のころでも二人の息子が誰だか分らなくなっていたし、1年ほど前までは在宅時代に面倒を見てくれていた次男の嫁や孫のことは認知できたのに今ではそれも認知できない。
 いずれはアルツハイマー病の治療薬も登場するであろうということは言われているけれど、ここまで進行してしまった妻が“治る”という確率はもう皆無に等しいのではないか。

 “命の大切さ”ということは分かっているつもりだけれど、人が生きていることの意義は、まず自身にとって何らかの“喜び”があり、ささやかでも生きているということの充足感を感じることができるということ、また周囲の人たち対しても何らかの喜びや意義を感じさせられることができるから、生きていることが大切なのではないか?
 だから、最近の妻と会っていると、いま、妻が生きていることの意義は何なのだろうか、と私は思ってしまう。

 勿論、だからといって妻が死んだ方がいいと思っているわけでは決してないない。ただ、このような状態で生きながらえなければならない妻が哀れに思えてならないのだ。  

コメント

_ じーぼむ ― 2011年12月08日 17時16分42秒

奥様にとって一番の喜びは、旦那様の笑顔だと思います。

口数が日に日に少なくなったとしても、奥様は奥様です…
ただ認知症という病気にかかってしまっただけです。

私の大好きな人は若くして死んでしまいました。
どんな状態であろうとも、生きていてくれれば良かったです。
私が彼を幸せにしてあげたかったです。

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://ki-ichiro.asablo.jp/blog/2011/11/23/6212264/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。