◆ 人間自身にとって、生きているということの意義は何だろう?2011年11月23日

 毎週日曜日に特養を訪ねて妻と面会しているのだが、行くたびに発する語彙の数が少なくなっている。
 毎週面会しているから、私のことを“知っている人”という認識があることだけは確かなようだけれど、自分とどういう関係の者であるかということは分かっていない。また、在宅のころでも二人の息子が誰だか分らなくなっていたし、1年ほど前までは在宅時代に面倒を見てくれていた次男の嫁や孫のことは認知できたのに今ではそれも認知できない。
 いずれはアルツハイマー病の治療薬も登場するであろうということは言われているけれど、ここまで進行してしまった妻が“治る”という確率はもう皆無に等しいのではないか。

 “命の大切さ”ということは分かっているつもりだけれど、人が生きていることの意義は、まず自身にとって何らかの“喜び”があり、ささやかでも生きているということの充足感を感じることができるということ、また周囲の人たち対しても何らかの喜びや意義を感じさせられることができるから、生きていることが大切なのではないか?
 だから、最近の妻と会っていると、いま、妻が生きていることの意義は何なのだろうか、と私は思ってしまう。

 勿論、だからといって妻が死んだ方がいいと思っているわけでは決してないない。ただ、このような状態で生きながらえなければならない妻が哀れに思えてならないのだ。