◆ 25年度 特養“園祭り” 写真集2013年05月12日

今年も好天に恵まれて!

いつもいつも地域の方々のご協力! 感謝、感謝!!




                      孫にはいい顔!


◆ 私自身の入院でブログ更新が出来なかった(;_:)2013年04月11日

 昨年の市の老人定期検診で大腸がんの疑いが生じ、精密検査の結果10個のポリープがあり、そのうちの何個かが癌の可能性があると言われ、結果、癌化した一個のポリープは内視鏡で取れたが、S状結腸に生じた癌は手術で摘出することのなり余儀なく入院する羽目になってしまった。
 腹腔鏡による手術は成功し、術後10日で退院できたが、その1週間後、今度は大腸手術の後遺症のイレウス(腸閉塞)になってしまい、またこれがこじれて39日も再入院するはめになってしまった。
 そして、摘出された癌そのものは粘膜下層にとどまったステージⅠの初期癌であったにも関わらず、一緒に摘出されたリンパ節の一か所に癌の転移が認められ、ステージⅢに昇格(?)してしまって、抗がん剤の服用をせざるを得ない羽目に陥ってしまった(;_:)
 そのようなわけで、このブログの更新も長い間中断してしまったが、とにかく妻が特養に入所していたことで、入院中も安心して自分の療養に専念することができた。


◆ 今年の敬老祝会2012年09月17日

 昨日の日曜日、今年の特養施設の敬老祝会が開催された。
 例年のことだが、今年喜寿や米寿、また70歳以上の10歳エポックを迎えた入居者と100歳を超えた入所者には記念品が贈られるのだが、100歳を超えた方が二人、104歳
と101歳。施設の手厚い介護は入所者を長生きさせる。

 
敬老祝会のイベント
 また、敬老式典の前に、ボランティアによるイベントが行われたが、今年は「ストリングラフィーコンサート」。
 私には初めて経験だったが、糸電話の原理を応用して、ソプラノ・アルト・ベースの3セットを基本としたドレミの音階になるように沢山の紙コップを付けた長い糸を演奏者が手でこすったり、はじいたりすることで音を出す。その糸は1セット15~22本もあるという。
 私は。ただただ感心して聞き入るだけだった。




◆ 第15回・特養「園祭り」(写真あり)2012年05月06日

 昨年の園祭りの記事にこう書いた・・・
 『先週日曜日に面会に行ったときには、週間天気予報で今日は≪雨≫だったのに、日を追うごとに≪曇り≫から≪快晴≫に・・・。妻がこのホームに入所してから3回目園祭りだが、3回とも≪快晴≫で、気温も暑いくらい。昨日は大雨。この施設、何でこう運がいいのだろう?』
 今年もまた快晴(途中、10分ほど小降りの雷雨はあったけど)。このところ週のうち雨が降らない日は2日くらいしかない異常気候が続いていたのに・・・

入口

                ≪イベント受付≫
イベント受付

        ≪町内会などの支援協力者によるバザーや屋台≫
ボランティアの出店

≪ボランティア小学生によるブラスバンド演奏≫
清水小学校ブラスバンド

                ≪入所者のお世話をする若い職員≫
お世話する職員







◆ 言葉がほとんど不明瞭になってしまった(*_*;2012年04月11日

 
 1月末、妻が入所している特養にインフルエンザに罹患した利用者が出たため、入所者との面会が一時禁止になり、その後所内のインフルエンザは収束したのだけれど、当時国内の老人施設でノロウイルス患者の発生が報じられたりしたために面会禁止が継続して、しばらく妻との面会ができなかった。
 面会禁止が解除されたのは3月下旬だったから、ほぼ2ヵ月妻の様子を見ていなかった。しばらくぶりに面会するにあたって心配だったのは、私のことが分からなくなってしまってはいないだろうかということ。まあそれまでも既に、私との関係=夫だということは理解できていない状況だったけれど、親しい人、身近な人くらいの感覚は認知していたのだが、それもわからなくなってしまってはいないだろうかという心配だった。
 でも約9週間ぶりに面会したら、以前とほとんど変わらない反応だったので、その点ではホッとした。しかし面会中の妻の言葉が以前より分からなくなっていたのである。妻も施設に入所した当時は、ほかの入所者とも結構会話していたようなのだが、病気の進行とともにほかの人たちとの会話も次第にできなくなったのだろう、だから私が面会している時間内はしきりに話をしようとしていた。そのことは2ヵ月ぶりの面会でも同様だったのだけれど、妻の口から発する言葉がもう全く言葉になっていないのだ。テレビの画面流に書けば、#$%&’!”#$%&%$#!”~・・・・・・


◆ 人間自身にとって、生きているということの意義は何だろう?2011年11月23日

 毎週日曜日に特養を訪ねて妻と面会しているのだが、行くたびに発する語彙の数が少なくなっている。
 毎週面会しているから、私のことを“知っている人”という認識があることだけは確かなようだけれど、自分とどういう関係の者であるかということは分かっていない。また、在宅のころでも二人の息子が誰だか分らなくなっていたし、1年ほど前までは在宅時代に面倒を見てくれていた次男の嫁や孫のことは認知できたのに今ではそれも認知できない。
 いずれはアルツハイマー病の治療薬も登場するであろうということは言われているけれど、ここまで進行してしまった妻が“治る”という確率はもう皆無に等しいのではないか。

 “命の大切さ”ということは分かっているつもりだけれど、人が生きていることの意義は、まず自身にとって何らかの“喜び”があり、ささやかでも生きているということの充足感を感じることができるということ、また周囲の人たち対しても何らかの喜びや意義を感じさせられることができるから、生きていることが大切なのではないか?
 だから、最近の妻と会っていると、いま、妻が生きていることの意義は何なのだろうか、と私は思ってしまう。

 勿論、だからといって妻が死んだ方がいいと思っているわけでは決してないない。ただ、このような状態で生きながらえなければならない妻が哀れに思えてならないのだ。  

◆ 「どこにいるの?」「ここにいるよ!」「今はね…」2011年10月09日

 今日も特養施設に妻の面会に行った。
 仕事の休みの日曜日に妻の面会に行くのは定例になっていて、何かの都合で行けないことがあると何となく気持ちが落ち着かない。
 妻は多くの語彙や表現方法を失っているのだろうか、面会していても会話らしい会話はほとんど成立しない。一時間ほど面会して いる間に妻が発する言葉は数語にすぎない。そして、私の話や問い掛けに返ってくる言葉は、決まって 「葉っぱが揺れてる。」 なのだ。

 その妻が今日、「どこにいるの?」と私に問いかけた。
 自分が長く住んでいた自宅も、結婚するまで住んでいた実家も、もう 「忘れた」「分からない」といい、いま自分がそこ(特養)に居る意味も分かっていないようなのだから、一週間に一度現れる私が、普段はどこにいるのかと問い掛けたかったのだろうと思う。
 でも私は、わざと 「ここに居るじゃないか!」 と応えたら、即座に返ってきた 妻の言葉が 「今はね!」

 アルツハイマー病で何もかも分からなくなってしまっているのだと思っていたけれど、そうじゃぁないんだ。だから返答に出る 『葉っぱが揺れてる。』 にもきっとそれなりの意味を含んでいるのかもしれない。 妻が発する 『葉っぱが揺れてる』 という常套語は、単に<葉っぱが揺れていること>ではなく、その時々でいろいろな意味を持っているのかもしれない、と 私は初めて気が付いた。

◆ “Tomorrow Never Comes”2011年10月05日

  『最後だとわかっていたなら』 (Norma Cornett Marek・作 / 佐川睦・訳 / サンクチュアリ出版・刊) を読んだ。
 アルツハイマーの妻はまだこの世から去ったわけではないけれど、人・トシ相応の記憶や過去も、そしてある意味では現在も失ってしまっている妻を想い、込み上げる胸の内を抑えられないまま、この散文詩を読んだ。

 人は大切な“モノ”を失って初めて、その“モノ”の存在の大きさに気付き後悔するのが常なのかもしれないけれど、妻が “記憶の玉手箱” のほとんど失う病に冒される前に私がこの詩に出会っていたならば、病魔に冒される前の平凡で普通の夫婦生活を過ごしていたときにも、かっての生活とは違った日々があったかもしれないし、また今も、違った自分が存在したかもしれないという思いで一杯である。

 しかし一方で、ひとは「明日は我が身」などと言いつつ、実は「明日は我が身」ということを万が一、いや無限小のコトにしか考えず、その「我が身」が現実になったとき初めて後悔の念にとらわれるのが人の常かもしれない。と考えると、人間とは何と不完全な創造物なのだろう、とも思えてしまう。

◆ 2011年 特養での「敬老祝会」2011年09月18日

 今日は特別養護老人ホームの 『敬老祝会』

 まずは、中央大学マンドリンクラブの学生たちの演奏。
演奏を聞く入所者 演奏を聞く入所者  





 ボランティアで敬老祝会に色を添えてくれる学生たち、聞き入る入所の人たちと訪れた家族。

 でも私は、こうしたイベントの最中でも入所者たちに絶えず気を配り続けている演奏の学生たちと同年代の若い介護職員たちの働きに目が行って仕方なかった。学生と社会人、比較する次元のことではないかもしれないが
私は甲斐甲斐しくにこやかに働き動いている若い介護職員の姿に胸が熱くなる思いであった


 入所者代表が謝辞を述べる・・・
入所者謝辞






こうして今年の敬老式典は終わり、それぞれの参加家族と共に楽しい食事会に移った。

◆ 「もう帰ろうよ」2011年09月11日

 今日も日曜日のルーチンとしての妻との面会に特養に行った。

 毎週行く毎に、発言する言葉のボキャブラリーが少なくなるし、内容もはっきりしなくなっている。 それは病状の進行なのか、それとも施設にいると会話や刺激が少ないためなのか?

 そんな会話にならない会話をしていたとき、突然 「もう帰ろうよ。」 と言う。私はその言葉にドキッとし、胸がこみ上げてきた。
 そこで私が 「何処に帰りたいの?」 と聞き返すと、悲しそうな表情になって言った 「それがわからないの (*_*) 」。
 もう2年半になる特養暮らしで慣れてきた私だが、このときは思わず胸にこみ上げるものがあった。